アイルランド・オランダ旅行記

第14日「ホテルをチェックアウト、運河を散策、アンネ・フランクとフェルメール」
第15日「マレーシアに帰国」

[Japanese only]


2001年8月17日(金)

 朝。ケイコの調子はかなり良さそう。発熱して4日目なので、普通の風邪ならそろそろ治るはず。遅い朝食、それも相変わらず旨い朝食を食べながら、おつうと相談。当初予定通り、運河沿いの散策と国立美術館行きを決心。もちろん、ケイコの様子がおかしかったらすぐ戻る前提で。ホテルを引き払い、フロントで荷物を預かってもらう。

 ダム広場を横切り、王宮の裏に向かって進む。運河沿いに洒落た小物を扱う店が並び、広い歩道にカフェが並ぶ素敵な場所だ。運河には、味のある大きな船や、可愛らしい小さなボートが浮かんでいる。6年前にやってきて、コンタックスT2で随分写真を撮り、それを元に何枚か油絵も描いた。昨日も写真を撮りながらざっとあるいたのでKanaoには土地勘がある。

 おつうは、Kanaoの予想通りの場所で引っかかる。このアクセサリー屋、あのフラメンコ用品の店、このケーキ屋・・・。フラメンコ用品の店でフランス製の指輪を買う。3,500円ぐらい。ものすごく質が高いというわけではないが、洒落ている。フランスという国も不思議だ。パリで泊まったエトワール・マイヨのホテルで痛感したことだが、80点ぐらいのものを上手く組み合わせて100点に近い雰囲気を作り出してしまう。服装にしても、ホテルなどのつくりにしても。おっと、また脱線。

 とにかくケイコは回復したようで元気。だが抱っこからは降りようとしない。おつうとKanaoが交代で抱っこ。

 絵になりすぎる運河沿いを歩いていくと、西教会が見えてくる。それと同時に長蛇の列も。有名な観光スポット、アンネ・フランクの隠れ家だ。しかし、6年前に訪れた時とはちょっと様子が違う。隠れ家に隣接して立派なガラス張りの記念館が立っているのだ。それに6年前は寒い2月だったからか、こんなに人は並んでいなかった。

 子供達はこの隠れ家の意味を理解するには小さすぎるので、ここは外から見るだけで済ますことにする。レンガ造りの古びた建物に、6年前の記憶が蘇る。暗く急な階段。壁の落書き。不幸な過去の物証がそこにあった。多くの過去の遺物と同じように、古びて、現実離れして、何か昆虫の標本のように。認識しなければいけないと感じる問題の大きさと、それを受け入れきれない自分の感覚と…。それは、こういう場所で何時も感じる、言いようの無い居心地の悪さとなって私を包み込んだ。

 娘たちも一応、この建物の意味を説明する。メグミは「何故人を殺すの?何故戦争をするの?」と納得がゆかない様子。これは説明できるもんじゃないよね。はっきり言って、私にも分からないんです。世界の情勢が分かってくれば分かってくるほど、理性的に、論理で詰めれば詰めるほど、分からなくなってくる。最後のよりどころは「戦争は良くない。殺し合いは良くない」という感情的な思いだけ。そして、私の理性は、それが必ずしも正しくないことを知らせてくる。「世の中には『殺し合い』よりも悪い殺し方もある」と。

 ケイコの体調の事もあり、列には並ばず、本当の隠れ家の扉の前と、隣の西教会の前に立つアンネ・フランク像の前で記念写真を撮る。この扉には誰も注目していない。そう、アンネが引きずり出されていったその戸口には。デフォルメされたアンネ像は、小さく、黒く、晴れた8月の空から降り注ぐ光を静かに吸収していた。足元の献花の横にそっと娘達を立たせ、シャッターを切る。ニコンF3は、心成しか、いつもよりも静かに振舞った。

 娘達が「アンネの日記」を読むような年になったころ、その隠れ家の前に立ったことを思い出してくれるだろうか?

 運河を離れて商店街に入り、ようやく目当てのダッチレースを扱う店を見つける。6年前に来たとき、生まれたばかりのメグミ用にベビードレスと、将来のための3歳児用のワンピース。おつう用にブラウスを買った店だ。店の様相が大きく変わっていたので、それと分かるのに随分時間がかかってしまった。今や、外から見た様子は、まるでみやげ物屋だ。

 店に入り、店番と「6年前に来て素敵なドレスなどを買ったんだ」と話をしていると、年を取った主が出てきた。「もう、そんなダッチ・レースを作る職人は居ないんだよ」。奥の古びた棚から見事な手編みの花瓶敷きを出してきて、「見てご覧よ。これを一目一目編むんだよ。何週間もかかる。年寄りが何人かやっていたけれど、後を継ぐ者がいないんだ。こんな小物も、この在庫が無くなったらお終いさ」。

 「とても残念です。この娘達は二人とも、ここで買ったドレスを着て3歳のお祝いの写真を撮ったんです。今でもシミ一つないですよ」。「そうだろう。そしてとても丈夫なんだ。」と言うが早いか、手にした花瓶敷きをギューっと捻ったり引っ張ったりしてみせた。再び広げられた花瓶敷きにはなんの問題も無い。

 そう。メグミとケイコはここで買ったダッチレースのワンピースを着て七五三の写真を撮ったのだ。もう作られていないと聞くと、なんだか寂しい。「機械織りのはまだあるよ」と出して見せてくれたが、見た瞬間にぜんぜん別な物だと分かる。

 イタリアで、赤ん坊が生まれた時のお祝いに、おじいちゃんが「おれが赤ん坊の時に使ったやつだ」と言って擦り切れた陶器をプレゼントしたという話を聞いたことがある。ドイツではおじいちゃんが乗っていたフォルクス・ワーゲンを孫が直し直し乗っていたりもする。物は大切に作られ、大切に使われ、そして次の世代に引き継がれていく。そんな文化が、ここにはあった。何時から物はそのオーラを失い、消費財に姿を変えてしまったのだろう。

 これが最後のチャンスかもしれないと思い、ちょっと高かったけれど手編みの花瓶敷を購入。「宝物ですね」。「そうだ。大事にしろよ」。母に送る小さ目の花瓶敷と、レースではないが猫柄のクッションカバーも購入。次にまた、アムステルダムに来ることがあって、その時にまだこの店があったとしても、「もう、この店は、この店であって、この店ではなくなっているのだろう」と思うと妙な寂しさを覚える。そんな感傷を胸に小さなガラス戸を出た。

 商店街を後にして、しばらく行くと行く手を遮るように大きな建物が立ち現れる。国立美術館だ。オランダにきた以上、どうしても見たい絵がある。フェルメールだ。その極めて写真的な光の捉え方と、色の使い方を見てみたい。スペインのプラド美術館に行った時、どうしてもベラスケスの絵を見てみたかったように。

 ご存知の様に、フェルメールには小品しかない。残された作品も少ない。それなのに、一部に熱狂的なファンがいるのはどうしたことだろう。数点を所有するこのオランダ国立美術館で、「これらを見ずして何を見る」という感じだ。残念ながら、有名な「The Kitchen Maid」は貸し出し中とのことで見ることができなかったが、その他数点の小品は、やはり記憶の中に克明に残っている。

 せっかくオランダに来たのだからということで、レンブラントとゴッホの展示室にも回る。とてもじゃないが、全部回ることはできない。ガイドで目的のコーナーだけをピンポイントで見て歩く。これらには、そんなに心動かされなかった。「観光」って感じ。ゴッホも、良い絵は良いのだけれど。

 フラッシュを炊かなければOKなので、子供達を絵画の前で記念撮影。ほんと、おのぼりさん。

 美術館のカフェで遅い昼食を食べる。サンドウィッチも美味しい。カフェの内装もかなり古いものなのだろう。それ自体、美術品のよう。ケイコの調子はとても良さそう。ようやく回復…でも、今日が最終日なんだよね。

 さて、旅もいよいよお仕舞い。もう、特に書くべき事も残っていない。美術館から、初日に乗る予定だったカナル・バス(運河を走るボート)で中央駅まで。ボートの中ではケイコがうつらうつら寝ている。中央駅からは歩いてホテルへ。通り過ぎる町の風景も名残惜しいが、そうも言ってはいられない。

 ホテルからは、バスで空港へ。昨日のうちにホテルのフロントで予約しておいた…のだけれど、予定の時間を過ぎても来ない。来ない、来ない、来ない…。フロントで確認するも、「まあ、待て」。それがイヤならタクシーだけど、190Gだと。冗談じゃない。タクシー待ちでは昨日のタクシードライバーが笑いながら手を振ってくれる。

 ようやく来たバスは、あちらこちらのホテルを回って客を拾い集める。小一時間も乗っただろうか。空港では、出国審査官が笑って「サヨウナラ」。こちらも笑って「さようなら」。もう、絵葉書を買う元気も残っていない。Tax Refund の手続きだけして、青い機体のKLMに乗り込み…後はあまり記憶が無い(^^)。そうそう、Tax Refund では必ず現品を確認されますので、手荷物に。私は花瓶敷だけでしたけれど。

2001年8月17日(金)

 一路、シンガポールへ、そして我が街ペナンへ。行きと反対に、飛行機は太陽に向かって飛ぶ。おかげで半日ぐらい損する感じ。もちろん、その分、行きに得してるわけだけれど。シンガポール・チャンギ空港では元気寿司でおなかを膨らませ、くつろぐ。この空港は本当に良い。こことアジアのハブ空港を競うのは、大変だろう。

 ペナン空港での入国審査では、いつもの通りほとんどフリーパス。税関も「Japanese?」の一言のみ。ひたすらタクシー乗り場に向かう。早くコンドミニアムに帰ってシャワーを浴びたい…