懐かしのマレーシア

2006年4月2日:朝から晩まで会食

[Japanese only]


4月2日(日曜日)

 朝起きてしばらくすると日の出。海側の部屋なので、窓から海峡から昇る朝日を見ることができる。夜はエアコンをつけていると寒くなるのでスイッチを切っていたが、日が差し込むとぐんぐんと部屋の中が暑くなってくる。ちなみに、この部屋にはジャグジーが付いているが、その窓は海に向かっていて、カーテンは無い。外から覗かれる心配は無いということ。せっかくなので、海を見ながら朝風呂に入る。

 4月のペナンは乾季が終わり、雨季が始まるぐらいの季節。雨季といっても日本の梅雨のように朝から晩まで降るわけではなく、夕方から夜にかけて降る場合が多い。残念ながら、フルーツシーズンはまだ。6月まで待たないと。

 朝食はいきなりバクテー(肉骨茶)となった。たまたまペナンを訪れていて、今日、日本に帰られるというペナン時代の知り合いと。先方のご選択でKanao一家が行き着けだったバクテー屋の二軒隣の店。割とクセの無いタイプで、なかなか美味しかった。感覚が自動的にペナン時代に戻り、当たり前のようにご飯にバクテーの汁をかけ、刻みニンニクをしこたま入れてレンゲで食す。やはり、堪えられない。

 隣のテーブルに座ってお食事中のお年を召された方々は、てっきり地元の中華系の方たちかと思っていたら、退職後、ペナンにロングステーされている日本人の方たちだった。それぐらいお店に馴染んでいらっしゃった。毎朝、ここでバクテーを食されているとのこと。ペナンの日本人人口は、企業の縮小や撤退で減少傾向だったのだが、シルバーの方々のおかげで増加に転じているとのこと。ところで、このバクテーが、ペナン滞在中唯一、日本人の知り合いとのお食事となった。

 バクテー屋からホテルまでは歩いて数分。ただし、ここガーニードライブは、近年、自転車で背後から襲う引ったくりが横行している。要注意。道すがら、オニカッコウやコウライウグイスの声を聞く。二年ぶりのことなのに、それが当たり前のように感じている自分に、ちょっと驚く。ホテルの近くではコウエンボクが盛り。この木は日本ではちょっと見かけない花の付け方をする。こちらは、ちょっと懐かしい。盛りはほんの数日で、ペナンを後にする頃にはもう散っていた。

 朝食後は子供達の希望で、ホテルのプールに。ホテルの7階にあるプールは、二面がそのままビルの外壁に。見ているほうが怖いような設計。Kanaoは水には入らず見ているだけ。昼近くになると、陽射しは強烈になってくる。雨の降るシーズンになりつつあるとはいえ、それでも陽射しの強さは日本の比ではない。このプールが、後日、ハプニングの場となるのだが、その件は後で書こう。

 さて、お昼は隣のエバーグリーンホテルのランチ・ビュッフェ。Kanaoの昔の同僚の内、中華系の仲間5人が集まってくれた。2年前、帰国前のKanaoをこの同じビュッフェに招いてご馳走してくれたのが彼らで、今回は、私が彼らを招待した。オタオタを食べ、チキンカレーを食べ、サテーを食べ、ココナッツプリンを食べ・・・昔の事や他の人たちの消息話に花を咲かせた。皆、新しい仕事を見つけているのを知り、ほっとした。2年間の間に女の子の一人は結婚し、大きなお腹をして旦那を連れてきた。皆、外見は殆ど変わりなかった。お腹の大きな一人を除いて。彼ら同士も殆どが2年ぶりの再会とのことで、私のペナン訪問は彼らにとっても良い再会のチャンスとなったようだ。楽しい2時間弱があっという間に過ぎ、お別れの時間となった。一人一人にお土産を手渡し、2年前と同じ場所で記念写真を撮る。

 皆、いろいろと忙しそうな中、良くクリムからペナンまで来てくれた。彼らに再会できるのは何時のことだろうか。若い彼らを見送った後、残ったL氏がドライバーを申し出てくれる。彼は息子を連れてきていて、その息子は見違えるように背が高くなっていた。そして、彼の車はサニーになっていた。「僕のドリームカーを手に入れたんだ」「いや、サニーは君の奥さんのドリームカーだっただろ。君のドリームカーはカムリだったじゃないか」「良く覚えているなー、そうだ、僕の妻のドリームカーを手に入れたんだ」。二年間という時間を感じず、そんなたわいも無い会話を交わせるのが、本当にうれしかった。

 好きなところに連れて行ってくれるという彼の言葉にちょっと考え、そして甘えることにした。ロイヤルセランゴール(ピューター:錫製品)の店に連れて行ってもらう。最近お世話になった方へのお礼を調達したいと思っていたのだ。その後、午後一杯付き合ってくれるというL氏を制し、ガーニープラザ(ペナンでも一番にぎわっているショッピング・モール)で分かれることにする。少しでも長く彼と時間を過ごしたかったが、彼は水曜日にはドイツ出張に発つ予定がある。息子をクリムに連れて帰らなければならないし、なにより、私は彼をドライバー扱いするつもりはない。"See you again!""Near future!"。

 ところで、この昼食の間に、恵はペナン時代のクラスメートとそのお父さんが車で迎えに来てくれて、その子のうちに遊びにいってしまった。夕方ホテルに送り届けてもらったのだが、一戸建ての「いかにもインド人のお家」という感じだったそうだ。どんな家なのか、ちょっと想像がつかない。

 ガーニープラザは、随分店が入れ替わっていたし、海側の一階には地階と連絡するエスカレーターが新設されていた。知り合いになっていた時計屋に顔を出す。店の構えは変わっていなかったが、品揃えが随分変わっていた。「どうしたんだい?」「取り扱いブランドの数を絞るんだ。今後はOとAPだけにする」。「例の王様は良く来るのかい?」「先週も来たよ」「そう言えば、帽子ありがとう。それをかぶった写真を送ったけど見てくれた?」「オレンジ色の車の横に立ってるやつだろ、見たよ」・・・最近の時計マーケットの話や技術動向話なんかにしばし花を咲かせる。その間、おつうと佳はあちこちと見て歩いていた。残念ながら適当なTシャツは見つからない。明日の朝食用のパンを調達してホテルに戻る

 さて、夕食はドイツ人宅に招かれている。2003年の9月に一緒にドイツ人会館で写真展をやった写真友達だ。2004年の桜の季節には、日本に旅行に来て、一緒に錦帯橋や宮島を訪れたこともある。彼の家は Kanao 一家が6年間を過ごしたコンドミニアムにあるが、今、彼はドイツで働いていて、家族だけがこちらに居る。彼はちょうど休暇でペナンに来ていて、明日、ドイツに戻る予定とのこと。この夕食を共にできる運の良さに感謝。

 久しぶりに訪ねた彼の家は、相変わらず綺麗に整えられていて、下の息子は驚くほど背が高くなっていた。壁には3年前に差し上げた Kanao の鳥の写真も2枚飾られていた。妻同士も仲が良く、それぞれ、趣味のこと、仕事のこと・・・楽しい時を過ごすことができた。用意してくださったドイツの家庭料理もとても美味しかった。再会を誓い、名残を惜しんでタクシーでコンドミニアムを後にする。


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