懐かしのマレーシア

2006年4月4日:(その1)Kanao、旧友に会いに行く

[Japanese only]


4月4日(火曜日)午前

 さて、まったくの予定外ではあるが、今日から娘達は通学である。朝、ちゃんと早起きし、コールドストレージで買ってきたパンとジュースで朝食を済ませる。バクテーやディムサムは何処にいったのだろう・・・なんて贅沢を言ったらバチが当たる。学校のお弁当は、日曜日にドイツ人の友人から聞いた日本食レストランのデリバリーサービスを頼むことにしよう。娘達には「お弁当は何時もの(2年前だが)お届けボックスに名前を書いて入れておくから」と説明。流石に初日なので、先生達への挨拶もあり、タクシーを呼んで一家で学校へ。学校の守衛のインド人のおじさんが懐かしがってくれる。もう一人の守衛に「ほら、赤いアルファに乗ってきていた・・・」と説明しているのが聞こえる。

 事務室に入ると事務の方に「あらあら、まあまあ・・・」と歓待され、校長先生からは「ちゃんと先生には話をしてあるよ」と言われる。図々しく「恵のクラスメートは二クラスに分かれているので、どちらのクラスにも二日間ずつお願いしたいのですが」とお願い。快く承諾される。娘達をクラスまで連れてゆき、初めて会う先生方に挨拶。恵のクラスはMr.T、佳のクラスはMrs.T。ご夫婦だった。恵の周りにかつてのクラスメートがワイワイと集まってきたので写真を撮ろうとしたら、鐘が鳴り、子供達は教室に吸い込まれていった。娘達は、学校が終わると、今日が誕生日のクラスメートの家に遊びに行ってしまう。学校には、取り決め通り、親では無く友達の母親:A夫人がピックアップするという届出をする。時計が二年間戻ったような錯覚に陥る。

 ところで、そのA夫人、娘を学校に送ってきたところで会うことができた。体調は戻ったようで、お元気そうだった。「今日は娘達をよろしくおねがいします」「あなた達、携帯電話は?よかったら、娘のを使って。普段は使わないんだから」と貸していただく。これが後でとても役にたった。A夫人親子にとっても。携帯電話を貸していただけるだけでも、その親切に恐縮している私達夫婦を次の親切が襲う(?)。「ちょうど主人が台湾に出張に行っていて、車が一台空いているから使わない?」。流石に何かあってはいけないので、丁重に辞退する。マレーシアの免許は失効しているが、郵便局で延長料金を払えば更新できるので、運転できない訳ではなかったのだが。そして、ペナンの道を乗せてもらって、「まだ運転できそうだな」と思ったのも事実なのだが。親切はさらに・・・。「子供達のお弁当はどうするの?」「日本食レストランのデリバリーを頼みます」「あら、私が作って届けておくわよ。明日は昼までだから、お弁当は今日と明後日だけでしょ」とA夫人。「そうそう、この人、最近日本食を習ってるんだから」とJ夫人。いえ、別に日本食にこだわっているわけではないんですけれど・・・。結局、押し切られ、ご親切に甘えることに。

 娘達と別れてから、彼女達がどちらも最初にお世話になったインド人のE先生に会いに行く。彼女はまだ学校に居ると聞いていたのだ。彼女は小さい子供が好きで、希望して幼稚園の最初の歳の子供達の面倒を見続けている。とっても優しい先生だ。E先生は変わりなく、おつうを抱きしめ、歓迎してくれた。「娘達がMr.TとMrs.Tのクラスでお世話になっていますので、時間があったら、会ってやってください」とお願いする。その後、昔、恵やおつうが英語を習っていたX夫人が子供を送ってに来るのを待ち、挨拶。赤ん坊だった子供は、幼稚園に通うようになっていた。今は二人目が生まれ、英語を教えるのはお休み中とのこと。

 さて、そんなことをしている私達夫婦を待っていてくれた、J夫人に車で送ってもらい、ホテルへ。ホテルでは、お昼に、娘達が水泳を習っていたL先生に会うことになっている。昨夜電話で連絡したのだが、どうにも時間が会わず、娘達抜きで昼間に会うことにしたのだ。今晩の夕食も予定が立たない。娘達は友達の家でご馳走になるし、私達夫婦もD夫人ご一家と食事することになるかもしれない(先方のご主人が今日は多忙で予定が立たない)のだ。とにかく、昼までの時間は自由に使える。娘達のお弁当の手配も不要になったし。

 「どうする?」と冷蔵庫から出したスターフルーツを丸カジリしながら Kanao。「モーニングマーケットを覗きたい」とおつう。「僕はスリーヨーク(以前住んでいたコンドミニアム)のあたりの友人に会いたいから、タクシーを拾って一緒に行って、マーケットは途中だからで落としていこう。Tシャツ、10リンギット(\320)ぐらいで良さそうなのがあったら買っておいて。帰りはR氏に頼んでおいて拾ってもらおう」ということで話がまとまる。R氏に電話をし、11時にスリーヨークで拾ってもらうようにお願いし、ホテルを後にする。おつうはマーケットで11:15ごろ待ち合わせる。  ホテル前で客待ちしているタクシーと価格交渉。「二ヶ所だから20リンギット」。ペナンでは、タクシー料金の計算で「途中落とす」という概念は通用しない。ホテル→マーケット、マーケット→スリーヨークの二回仕事をしたとして請求される。それでもホテル→マーケット+ホテル→スリーヨークよりは安いから良いのだが、おつうはブツブツ文句を言っている。この「ルール」を知らなかったらしい。自分で運転していたからねぇ。

 さて、スリーヨークでタクシーから降りると、テニスコートの管理人をしてるインド人のおじさんがこっちをじーっと見ている。警戒されているのかな、と用心しながら近づいていくと、私の名前を口に出して「驚いたよ」。驚いたのはこっちだって。本当にペナンで知り合った方々の、人に関する記憶力には驚かされる。私は彼とはそう親しかったわけではないのだ。妻に見せたいからと、一枚写真を取らせて貰う。ポケットから櫛を取り出し、髪を整える彼。お洒落なんである。Kanaoは櫛なんて持ち歩いていない。「テニスコーチのJにも君らが来ていたって言っておくよ」。

 さて、スリーヨークの隣の公園のベンチでカメラバックから超望遠レンズを取り出し、デジタル一眼レフに装着。懐かしい友人たちに会う準備だ。猶予時間は1時間強。公園を端から歩き始める。スリーヨークの中から「チュウィ!チュウィ!」。キバラタイヨウチョウだ。"What a devil"と澄んだ声はコウライウグイス。「キッ!キッ!キッ!・・・」アオショウビンがいる。目が慣れてくると、遠くにアオショウビンの青い姿が。高い木の上には黄色いコウライウグイスが。木立から離れた木に留まったのはアカモズ。川の傍でたむろしているのはオオハッカ。

「ホーゥ、ホーゥ」と聞こえるが姿が見えないのはオニカッコウ。同じく鳴き声だけ「チッ!チッ!」と聞こえるのはセアカハナドリ。記憶が一辺に戻ってくる。残念ながらハチクイは居ない。シマキンパラやキムネコウヨウジャクの姿も無い。遠くの木陰にシロハラクイナが動く影が見えたが・・・とても写真には撮れない。見上げた木々の隙間から見える空を飛び回るシロガシラトビも。サギやチドリの仲間は相変わらず用心深く、こちらの姿が見えた瞬間、飛び去ってしまった。

 はっきり言って、これらの旧友に会うのに、一時間ではつらい。結局公園を二往復してタイムアップ。コウライウグイス、アカモズ、メグロヒヨドリ、それとアオショウビンのまあまあの写真が撮れただけで終わってしまった。駐車場に来ていたR氏のタクシーに乗り、マーケットでおつうを拾い、ホテルへ。やはり、かなり道が混んでいて、以前の記憶よりも時間がかかる。R氏へは「行きのタクシーが20リンギットだったから、20でいいよね」。幾らか尋ねたら、答えは多分それよりも少ない額だったのだろうけれど。

マーケットでは、おつうがKanaoのTシャツを2枚調達してくれていた。10リンギットと8リンギット。馴染みの花屋さんなんかに挨拶してきたそうだ。そういえば、饅頭屋のお兄さんが、相変わらず日本語で「カワイイネー(←意味は理解できていないと思われる)」と言ってくれたかどうか、まだ、おつうに聞いてないな。


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