懐かしのマレーシア

2006年4月5日(その1)午前中はまたインド人街

[Japanese only]


4月5日(水曜日)午前

  今日は、娘達を学校に送り出した後、昼までは予定なし。今日は学校が半ドンで、昼食をA夫人、J夫人に誘われている。A夫人が子供たちを学校に迎えに行き、J夫人が私たちをピックアップしてくれる。その後、KanaoはR氏のタクシーで半島側に行き、とある会社に旧い知人と、そこで雇われているかつての同僚に面会。昔の工場を見てから、かのカレー屋、ペリタで知人や昔の仲間、さらには家族と落ち合い食事、というハードスケジュール。

 今日の朝食は、おつうが昨日、マーケットで買ってきたバナナケーキ。これがまた、おいしいんだ。しまった。チマキも頼めば良かった。娘達をJ夫人に預け、さて、昼までどうしようか?やはり、Kanaoとしてはインド人街の写真を撮りたい。おつうも雑貨を見たいということで、意見が一致。余談になるし、のろけるわけでもないのだが、おつうと二人でゆっくりできる時間を共有できたのは、随分久しぶりな気がする。最近は、娘達中心の時間の使い方になっているので。

 今朝の行動は急に決めた話なので、R氏のタクシーではなく、ホテル前で客待ちをしているタクシーを使う。ここはインド人ドライバーのテリトリーのようで、客待ちしているのはインド人ばかり。ガーニープラザは中国人ばかりだ。お決まりの値段交渉。「インド人街まで。いくら?」「15リンギット(約\500)」。おいおい。「高いんじゃないか?」「いや、決まってるんだ」嘘つけ。いや、観光客価格という意味では本当かもしれない。ま、いいや。高級ホテルからいかにも観光客という風体で出てきて英語で交渉では、こちらに分が無い。私のマレー語はシビアな価格交渉をできるレベルではないのだ。

 インド人街に向かう道すがら、ドライバーはいろいろと話しかけてくる。お話好きの人が多い。「韓国からか?」「いや、日本だよ」。最近、ペナンでは韓国人がすごく多くなっているらしい。滞在中何度か「韓国人か」と聞かれた。韓国の過熱気味の英語教育の余波か、ペナンにいる親戚の家に子供だけやってきて、ペナンのインターナショナルスクールに通うケースも多いそうだ。おかげで「クラスあたり同じ国からは二人まで」と決めていた娘達の母校も、韓国の子供だけはそれより多くなったりしているそう。

 「インド人街に何しに行くんだ?」「インドの歌のCDとか映画のDVDとか探そうと思ってね。それにインドから輸入されている石鹸も欲しい」。どちらも嘘でも方便でもない。私は、このインド産のハーブ石鹸が大好きだ。水戸黄門的に期待を裏切らないストーリー展開のインド映画も。「インドのどのあたりが良いんだ?南と北で言葉が違うぞ」「ヒンディーとタマルだろ。どっちでも理解できないことには変わらないから、どちらでもいいよ。DVDなら英語の字幕があるし」「よし、ちょうどいい場所で降ろしてやるよ」。

 話は続き、彼は墓穴を掘っていく。「ホリデーか?」「うん。でも2年前まで6年間、こっちで働いていたんだ。元の同僚のインド人がタクシードライバーをやってるよ」「・・・このあたりか?」「うん。住んでる所はバヤンラパス(空港の近く)だけどね」「・・・」彼は急に無口になり、程なく車はインド人街で停まる。近いのだ。「はい、15リンギット」「・・・いいのか?」。吹き出しそうになるのをコラエる。憎めない奴だ。

 いろいろと悪評高いペナンのタクシーだが、ちょっとボラれることを除けば、私はひどいタクシーに当たったことはない。ドライバーは大抵、人がいいのだ。「沢山持っている人は大目に払う」「富んでいる人は貧しい人に施しをする」のが常識的に行われているこの国では、あまりボッているという感覚でも無いのかもしれない。そこに当局から「統一料金」という枠組みをはめられて、上のドライバーなどには罪悪感が生じているようにも思う。実際、別なドライバーと話をしたら、「ビジネスのお客は余計に請求している」とはっきり言っていた。観光客も推して知るべし、であろう。

 空港のタクシーは「リムジン」を名乗り、乗る前にチケットを買いドライバーにはお金を渡さない完全統一料金制であるが、逆にドライバーには感心できない態度の人が多い。ちなみに、インド人街でたまたま拾えた帰りのタクシーは同じ道のりを12リンギット(約\390)だった。交渉したら、10リンギットにはなったはずだ。往路は5割ぐらいフッかけられたということ。

 さて、タクシーを降り立ったインド人街、懐かしい車が止まっている。ヒルマンだ。ペナンでは、こんな骨董品のような車にお目にかかることが少なくない。9年でスクラップにしなければならない規則のシンガポールとは大きな違いだ。ただ、ペナンでも、これだけ古い車が、こんなに良い状態で乗られているのは珍しい。丁寧にメンテナンスしているのだろう。我がバルケッタもそうしてやりたいところ。

 ビデオショップでインドの映画を3本入手。昔、何本か買った店のように思う。「ダンスは入ってるよね?」「ダンスが入ってなけりゃ、インド映画じゃない」「英語字幕はあるよね」「あるある」「でも、パッケージにそう書いてないよ」「じゃ、映してみよう」・・・ないじゃん。候補を一本一本映して字幕を確認。それでも・・・帰ってから確認したら、3本中1本は殆どダンスシーンが無かった。ほんとーに、いい加減なんだから。そのあたりのやりとりも、楽しみのうちなんだけれど。ここに住んでいて、疲れていた時なんかは結構シンドク感じたものでした。タクシーの価格交渉なんかも。

 ウィンドウショッピングをして歩いているつもりが、おつうが中々良いパンジャビ・スーツを見つけて試着。安い。可愛い刺繍のついたシャツも・・・安い。娘たちのシャツも・・・安い!明日はマレー系、ということはイスラム教の方のおうちに招かれているので娘たちも肘まで隠れる七分袖のシャツの方が良い、ということで、いろいろ買い込んでしまった。最後の娘たちのシャツは、十分安く感じたので、つい値切るのを忘れたら、お釣りが余計に帰ってきた(笑)。手で「とっとけ」という仕草。ま、それでも観光客価格なのだろうが、良心的である。

 昔、ペナンに住んでいたころ経験したことだが、日本人居住者の中にはインド人街を怖がっている人たちがいた。「インド人=悪い人が多い」という理解なのだろうか?そんなこと無いんだけどなぁ。6年間住んでいた間に、いろいろと犯罪の話も聞いたけれど、インド人街で起きた話は一件もなかったし。もちろん、この話を読んでインド人街に行って、何かトラブルに巻き込まれたとしても、責任は持ちませんが。

 そう言えば昔、おつうは「インド人街ツアー」を企画して、何度か日本人の奥様方を案内していたっけ。そのころ、サリーの着付けを実演してくれたお店は、残念ながら店を閉じてしまったようだ。よく石鹸を買ったスーパーも閉じていた。スリーヨークまで配達に来ていた雑貨屋も。ツアーのランチでバナナ・リーフ・カレー(バナナの葉の上にライスとカレーを載せて食べさせる)を食べたレストランの親父が我々に気づいて声をかけてくる。おつうと二人で懐かしいテー・タリッ(ミルクティーを高いところから他の容器にこぼして混ぜ・冷まして給仕する、タリッ=引っ張る)を注文。甘い。

 インド人街の道は再開発で綺麗になり、ボロボロだった家屋も修理されていた。観光の目玉として、再生が進んでいるのだ。良いことなのだろうが、昔のインド人街を知るKanaoには、ちょっと寂しく見えた。あの、ゴチャゴチャした感じが好きだったのに。

 さて、インド人街からキャンベル通りにちょっと入り、またインド人街に戻り、雑貨を買ったり、両替したり、石鹸を買ったり、Kanaoは写真を撮り歩いたり・・・そろそろホテルに戻る時間だ。昼ごはんを買っていたタクシーの運ちゃんを捕まえ、ガーニーホテルまで行ってもらう。


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